癒された子宮

ヒソップ 2012年8月15日ごろ開花 三好祐司撮影
ヒソップ 2012年8月15日ごろ開花 三好祐司撮影

前回、こちらの記事で、レゾナンス会員についての説明をしましたが、
今回はその補足です。

今(2012年10月初旬)は太陽が蠍座を運行する季節であることに加え、
土星が蠍座に入ったばかりで蠍座色が強くなっています。
制御できないほどの権力やパワー、悪や闇(蠍座)に関する過去やカルマ(土星)というテーマが浮上しやすい時期です。

前回書いた記事は、ミカエルの役割にフォーカスした「男性性」よりの語り口になっていたと思いますが、
今回はそれをサポートするための「女性性」=女神について書かなければならないようです。

なぜなら、それこそがヒルデガルディアーナという名前の言霊にかかわる重要なことだからです。

前回の記事で、ヒルデガルトはHildegard、つまりhild=戦い、gard=守る、場を創るという意味があると書きました。
また、ディアナは、月の女神でありますが、特に森と関連が深く、動物を守るとともに狩る者でもあります。

この点についてより深く考察するようにというガイダンスがありました。
それは、以前ヒルデガルディアーナについて書いた「癒された子宮」の役割と関連するから、と。
* * *

その話題に触れるにあたって、私にとってものすごく縁の深いヨーロッパのドイツ語圏の話をしたいと思います。

私は18歳のときから10年以上にわたって、大学・大学院時代に加えてその後の仕事においても常にドイツ語圏とかかわってきました。今も仕事の取引先はドイツ語圏です。

私個人は、大学に入るまではドイツとはそれほど深い関係もなく(帰国子女とか高校時代にドイツ語をやっていたとかでもない)、正直に言うと、ドイツに対して過度に心酔したり陶酔するような気持ちはあまりない、
どちらかというとドイツに対して一種の「冷めた」視線を持っている人間ではあるのです。

ところで、海外におけるドイツイメージは、高機能で美しい自動車や工業製品、
高貴な精神性の結晶のような哲学者や音楽家など、ポジティブで魅力的な側面だけではなく、
第二次世界大戦のドイツ、特にナチスによる様々な「悪」(ユダヤ人迫害等)ではないでしょうか?

今、蠍座に土星が入り、家系的・DNA的(蠍座)なカルマ(土星)とどのように向き合うのか?
というテーマが浮上しやすいので、こういうことにフォーカスしやすい時期なのだと思いますが、
過去を学ぶ、過去を乗り越える(土星)というテーマに関して言うと、
現在のドイツの第二次世界大戦に関する歴史教育は非常に徹底しています。

10代のドイツ人の少年少女は、ナチス時代の「過ち」を、祖先の「罪」を、子孫であるドイツ人として、現代史の授業にものすごい時間をかけて学び、ドイツ人としてのアイデンティティを形成していくのです。
参考記事

* * *

しかし、そのようなやり方だけで、本当に闇や過去と向き合い乗り越えることはできるのでしょうか?

「裁き」とは? 「罪」とは? そして、「ゆるし」とは?

そのような問いを私たちに投げかける本が、次の小説です。

朗読者 (新潮クレスト・ブックス)/新潮社
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この本は、ベルンハルト・シュリンクというドイツの法律学の教授が書いた小説です。
こちらのブログの記事がとても分かりやすいあらすじになっています。)

引用:Wikipediaより

 

ある雨の日、15歳だったミヒャエル・ベルクは学校からの帰り道で気分が悪くなり、名前も知らない女性に看病して貰う。その後、猩紅熱かかっていることが分かり、数ヶ月間病の床につく。快復した彼はバーンホーフ通りを歩いて女性の住居を探し再会、ほどなく二人は男女の仲となる。彼女の名はハンナ・シュミッツ。ある日、ハンナにせがまれ、ミヒャエルが本を朗読して聞かせることになり、朗読は2人の習慣となった。朗読されたのはトルストイの『戦争と平和』やホメロスの『オデュッセイア』など。しかしある日突然に、ハンナは行方をくらましてしまう。

大学生になったミヒャエルは のナチスの戦争犯罪に関する裁判を傍聴し、思いがけず被告としてハンナの姿を認めることになる。彼女は第二次世界大戦中に強制収容所で看守をしていたのである。数週間続いた裁 判によって、彼女が戦時中にどういう事件に関与していたのかが明らかにされる。

裁判で彼女にかけられた容疑は、事実よりも重い罪であろうことは明白だが、 ある理由から彼女は抗弁を全くせず、裁判はハンナに不利に進んだ。ミヒャエルはアルザスを旅行し、彼女が戦時中に勤めていた強制収容所の跡地を訪問した。そしてハンナや、ナチスの戦争犯罪について思いを巡らせる。その年の6月末に、ハンナは無期懲役の判決を受けた。

ミヒャエルはハンナに送るために、『オデュッセイア』を朗読して録音し、刑務所に送る。4年目になって、彼女から手紙が届く。彼は刑務所を訪問し、 彼女と再会した。出所の準備を進めていたが、その当日になってハンナが自殺しているのが発見された。彼女の遺書らしき紙も見付かり、ミヒャエルはその遺志 を叶えて、一度きりの墓参りをするのだった。

ここで書かれている「ある理由」・・・それは、ハンナが自分が文盲であるということを恥じ隠そうとしていたということです。

ハンナの悲劇は、文盲であることによって、より正確には、文盲であるということに対する劣等感によって引き起こされます。それは、決して明かしたくないほど深く彼女にとっては自尊心と関わる傷だったのです。


ナチスという出来事は様々に語られます。それは、恐ろしい前代未聞の犯罪であるとも言われます。
しかし、ナチスという衝動が力を持ってしまった理由は、ハンナが抱えていたような個々人の小さな傷が、さざ波が大波になるように、知らず知らずのうちにふくれあがってしまったからだと思えてきます。


私がこの小説を興味深く読んだ理由は、当初、法律専攻の大学生として熱心に戦犯やナチスの問題を裁くような態度で接していたミヒャエルが、
法律的な裁きや救済ではなく、ハンナが選んだ道にただひたすら付き添い続けようとした、という点です。


それは、ハンナの自尊心を守るためであり、ハンナへの愛ゆえのことであったと思います。
それがたとえどのように思われたとしても、ハンナがくだした意志決定を100%尊重する愛です。

お気づきの人もいらっしゃると思いますが、この小説の主人公のミヒャエルは、ドイツ語読みのミカエル、大天使ミカエルと同じ名前です。
悲しい小説ではあるのですが、私はこの小説の中に、大天使ミカエル的な愛のかたちを見ます。

* * *

しかし、自分の深い傷を見つめた上で、癒しに向かいたいと思うとき、
私たちに必要になるのは、ミカエルがサポートする強さだけではないようです。

実際この小説を読むとある種の「救われなさ感」が残ります。
そしてまさにそれは、私が深く関わりながらも、ドイツ的なものの中には見出すことのできなかったものと関わるように感じたのです。

(たとえば、どれだけ「いけないこと」だと言われても、ドイツから外国人排斥運動や、ネオナチ的な運動は消えていません。公の場で徹底的に隠され秘められているからこそ、そう言った形で噴出しているような気がします)

ですから、ミカエル的なサポートは、コインの裏と表というか、
ひとつの事象の片方の面を見せているように思うのです。それは、2つあわさってはじめて完璧になるというか・・・。
で、そのもう片方は何かというと・・・女神のエネルギーです。


その答えのヒントを与えてくれたのは、日本人の女神運動で有名な小田まゆみさんでした。
ベルリン滞在を終えて日本に帰国した後で、ひょんなことから彼女の講演会に行く機会に恵まれたのですが、
そのとき、彼女がこれからやりたいワークとして、「観音ワーク」を説明してくれました。

小田さんはこのように語ってらっしゃったと思います。


「私がこれからやりたいのは、観音のワーク。
これは、日本人の若い男女と 一緒に戦争の問題を見ていくワーク。
本当に深い傷や加害者としての自分を見るためには、
深い深い女神の愛を受け取って、その愛に守られた中でじゃないと不可能。
本当に癒された母性的な愛によって守られた状態でないと、人は自分の悪や闇に触れることはできないから。


 

これは、私たちのハーブ園の中央マス、癒されたルシファー=聖霊のマスに植えられた、
ヒルデガルディアーナにとって最も重要なハーブ、赦しのハーブ・ヒソップです。


当初、このヒソップはなかなか発芽せず、開花もせず、
結構ハラハラしたものです。


この花が開花した時期は、奇しくも8月の終戦記念日の頃でした。

8月15日はマリアの被昇天の日でもあり、この時期にはマリア的なエネルギーが強まっている時期ですが、さらにこの薄い凛とした紫色の中に、観音のエネルギーも感じられるように思います。

ミカエルが私たちの悪との格闘に付き添うとしたら、
観音やマリアのような癒された母性は、
ミカエルと私たちの歩む場所・戦いの場を提供するエネルギーなのです。

そして、そのような戦いの場を提供できる存在であるということの背後には、
自らもまた罪を犯し傷ついたということ来歴があるのではないでしょうか?

だからこその癒された子宮、ではないかと思います。

それは、月の女神の持っているある高い次元の姿。
悪も罪も傷も知っている、ルシファーであったこともある、癒された母性。

そして、ディアナは、今こそ癒されてマリアや観音になろうとしている/つながろうとしている月の女神、太古の大地母神的なエネルギーの象徴です。
それは、多神教的母系社会において、男性性を凌駕したり男性性を拒んだ罪を記憶している女神です。そして、男性性によって傷ついたことも記憶している女神です。

* * *

癒された子宮は、ただ与えられるものとして、私たちが受け取るだけではありません。
それは、私たちと土地との共同創造で成立するものでもあります。

かつて、こんなことを書きました。

私は最初、なぜ蓼科という日本の土地に、ヒルデガルディアーナという洋風の名前が降りてきたのかと、不思議に感じていました。
しかし、今、朧げに感じているのが、蓼科やその古い層にある縄文の女神が、変容を求めているということです。

実は私は、蓼科の土地に導かれる前、古い神々に強く呼ばれ、彼らの痕跡を辿る旅をしていた時期があります。
封じられた神たちの場所です。

彼らの怒り、悲しみ、さらに進むことのできない迷い、そういうものが、身体の中を流れていくような場所もありました。

彼らの望みは、かつての秩序を取り戻すこと、なのか? だから私を呼ぶ?

一時期、あまりに干渉が強かったので、こういった神々との関係性に距離を置いたこともあります。

私は縄文的なものや古代的なものをそのまま蘇えらせることにはまったく興味がありません。
なぜなら、それは宇宙に流れる絶え間ない変化の法則に反するものだからです。

人と地球が互いに呼びまた応じあうなかで変容していくことが、恐らくは封じられた女神や神々の贖いではないかと思います。

千と千尋の神隠しでの、千尋とハクの関係性は、人間と神々との関係性にも当てはまります。
千尋が自分の本当の名前(真の本質)を、ハクの助けで思い出すように、
ハクもまた、千尋の助けで、自分の真の名前を思い出します。
そしてそのとき、龍という川の神の役割や姿からさえも解放され、変容するのです。

崇めるのではなく、共に変容して欲しいと欲している古い多神教の神々(ディアナ)たちの声を聞きながら、私たちは蓼科と関わっていくように感じます。

私たちが素の自分に還るためだけではなく、古い神々がより高次元の自分自身を思い出すために、このヒルデガルディアーナが存在しているのではないかと。


もし、私たちが蓼科、そして蓼科の土地のエネルギー、そこで育つ植物に触れ、「自分に還る」とき、同時にかつて強大な力を持って大地を支配した女神、失墜し傷ついた多神教の神々(女神)たちもまた、癒されていくのです。

それは、単純なエコロジーや、現状維持として地球環境を守るということではなく、
地球も私たちも本来の輝ける神聖な姿に目覚めるという意味での癒しです。


ですから、私たちは、レゾナンス(共鳴)会員の方々は、私たちと響き合うというだけではなく、
蓼科という山、女神の土地とも響き合い、ともに場を創造する仲間であると考えています。