はじまり

2011年12月30日 高橋ともえ(ガブリエラ)

(元の記事はこちらのブログ記事にUPしています)

 

ヒルデガルディアーナ(HildegarDiana)という名前について

私がヒルデガルディアーナという名前を受信(?)したのは、2011年9月~10月くらいでした。
Hildegardianaをラテン語として解釈すると、ヒルデガルトの名のもとに集う人々、
ヒルデガルトファン、というような意味にもなりますが、
私が受け取った時に感じたのは、HildegarDiana、つまりヒルデガルトとディアナ(月の女神)の合成語である、ということでした。

ヒルデガルトといえば日本では主としてハーブなどの自然療法家としての側面を強調されますが、ヴィジョナリー(幻視家)であり預言者でした。(当時の人々は、ドイツの女預言者と呼んでいたのです)

ヒルデガルトとの出会い

私が彼女に明確な興味を持ったのは、大学院の修士課程中、ベルリンに留学していたときでした。
その当時私は、19世紀の初頭のドイツロマン派の文化を学んでいました。
特に私にとって興味があったのは、
有機体論、特に集合的身体論(社会や国などを身体とたとえて論じること)でした。
その当時の文化人たちに論文を読みあさるうちに、
自分がやりたいことは、ロマン派を研究することなのか、それともロマン主義者になりたいのか?
というような悶々とした状況が襲ってきたのです。

スピリチュアル的鬱というか、いわゆる「魂の暗い夜」。
寒い寒いドイツの真冬、ひとり鬱の底に落ちていました。
眠れなくて毎日しくしく泣いたりぼーっとしたりしていたのですが、
夜ともなると布団の中に変なものが入ってきたり、
金縛りやらなんやらが起きたりもしていました。

そんなある日の晩。
いつものように泣き疲れてベッドの中にいた私は、
とても温かい光を足元に感じました。
そちらの方を見る勇気はなかったのですが、
明らかに何か慈愛に満ちた存在がいて、光を放っているというような感覚でした。
その日私は、はじめて安心して眠ることができました。

やがて修士論文を書き終えた私は、大学を去る決意を固め、
日本へ帰国するまでの間を静かに過ごすことにしました。
そんなある日の午後、本を読んでいたら、急にうとうとして、
眠りに入る直前、またあの温かい光がやって来たのを感じました。
その光が私に告げたのは、
「道を知れ」と言う一言。

それから帰国するまでの間、私はそれとは知らずに買った本の中に、
ヒルデガルトの書いたSciviasと言う本のタイトルが「道を知れ」というものであるということを知りました。

現代における女神エネルギーとは

学究生活を終えた私は、日本で一般企業に就職し、あわただしい日々を送るようになりました。
その中で、ヒルデガルトのことはあっという間に忘れてしまい、
ほとんど思い出すことはなかったのです。

その後、しばらくしていわゆるスピリチュアルなこと一般に興味を持つようになり、
オーラソーマやらクリスタルやらレイキやら、色んなことをやったのですが、
最も興味があったことが、女神のエネルギーの持つ意味でした。
女神や母系社会に関する文献を読み、また女神エネルギーなどに触れるワークなどもしていました。

いまいち腑に落ちなかったことが、

なぜ女神のエネルギーというものが存在し、
それが一時期堕落(衰退)し、そして今と言う時代にまたよみがえろうとしているのか?
ということでした。

女神という名のもとに理解しているものはそれぞれの人によって違うかと思いますが、
私自身は、古い時代のグレートゴッデス的なエネルギーではなく、
迫害や衰退を経験し、自らも罪を犯しつつ、今と言う時代によみがえろうとしている女神のエネルギーは何か?
ということを知りたいと思っていました。

シュタイナーと「赦し」

その答えは意外な方向からやってきました。
29歳~30歳にかけての時期、いくつかの出来事が重なって、

それまで注意深く避けていたシュタイナー文献を読みあさるようになったのです。

(ドイツ文学やドイツ文化を学び、霊的な問題に触れた人であればシュタイナーは避けて通ることのできない存在であるにも関わらず)
シュタイナーの中に私自身が見出したかった答えが書かれていると感じたのです。

 

(正確に言うと、シュタイナーは多神教的な女神的な要素を注意深く避けている思想家なので、

彼の文章がダイレクトに女神についての教えを示してくれているわけではありませんが)

 

シュタイナーそのものの手に成る文章ではありませんが、
ヒルデガルディアーナのインスピレーションを多く与えてくれた書物が、
セルゲイ・プロコフィエフ著(涼風書林)の、
『赦しの隠された意味』でした。

この本の中で、現代における「赦し」が持つ偉大な力が語られていますが、
それは、端的に言うと、「月のカルマ」の昇華・贖いと関係しているということです。

ある人が別のある人に対して悪しき行為をした場合、宇宙の法則上、
そのカルマは必ず相殺されなければならなくなります。
いわば後ろ向きの理由で宇宙のエネルギーが使われるのです。

しかし、もし被害を受けた側が赦しを行う場合、カルマ清算のために使われていたエネルギーが、
よりポジティブで建設的・創造的なエネルギーを創り出すために使われるようになるというのです。
それを可能にするのが赦しであるということが、上記の書籍には書かれています。

月のカルマと言うのは、これまたシュタイナー的な宇宙論から説明されます。
地球から太陽(霊的なコア)が分離し、さらに月(地球の最も粗野な部分)が分離し、
現在の地球ができたと言われています。

月が分離した後、月にはルシファーという存在たちが棲みつくようになり、
人間はこのルシファーの影響を受けることで霊的な世界から分離すると同時に、
自由を得たのです。(それが失楽園の神話だと言われています)

この月の領域と言うのは、人々が死と再誕生の間にその前の人生で犯した様々なカルマや癖などをおいていく、記憶倉庫のような場所として機能しており、
魂が太陽の領域で次回の人生で誓う人生の創造的な意図(「太陽のカルマ」)が実現されにくくなっている理由は、
この月領域で転生の際に纏う悪しきカルマが原因だとシュタイナーは考えています。
それを「月のカルマ」と呼んでいるのです。

さて、こんな風に読んでしまうと、月=悪いものって思えてきますが、
そんなことはなくて、月がいわばマトリックス(母胎)となって、
地球と言う世界の良きものも悪しきものも受け容れているということなのです。
(そこに月という存在の持つ愛と意味があると私は感じていますが)

月の女神=癒されたルシファー=聖霊

女神の世界で月と言えば、古今東西で母なる女神として、月の女神として崇拝する存在でもありました。
月の女神にはいくつかの貌があるのですが、産み育むだけではなく破壊する死の風貌もあります。

私は、この月の女神という存在もまた、仮の姿と言うか、何かがある理由があって一つの次元に係留されているのではないかと感じていました。
本来は、月の女神もまた、高次元の真の姿を持っているはずだけど、
進化を止めている、一種のルシファー的存在だと。

上記の本の中に、
「赦しによってキリストの愛に出会い、癒されたルシファー(悪)とは、聖霊のエネルギーに他なりません」
という一言が書いてあったのを見た時、私は積年の疑問が晴れたような気分でした。

月の女神は一種のルシファー的な存在として、生と死、光と闇をともにになう中間領域にあります。
それは悪にも善にも転じます。
しかし、赦しによって愛に出会うと、癒されたルシファーとして、キリストに太陽への道を示す白い光の存在となります。


この白い光はキリスト教的神秘学では聖霊と呼びます。
カバラでは、神の創造の3つの原理は、父、子、聖霊ですが、聖霊は神の女性性の創造のエネルギーそのものなのです。それが、月の女神の本来の高次の姿なのではないかと感じました。

そして、キリストの愛を完全に受け容れ癒されたルシファーとは、
キリストの花嫁というイメージで語ることもできます。

その頃私は、エクレシア(教会)を集合的な身体、様々な存在を受け容れる大きな子宮ととらえ、聖化されたキリストの花嫁とみなしたヒルデガルトの集合体論を平行して読んでいた時期ですが、
この癒された子宮のイメージが、癒されたルシファーとしての月の女神=聖霊と重なり、
それと同時にヒルデガルディアーナという名前が降りてきました。

癒された子宮

その時私が感じたことは、癒された子宮という場を地上に創設することの重要性でした。

上記の本では、赦しと言う行為は個々人の内面の作業として行うことができ、
ルシファー的な存在の救済と関わっています。

しかし、これから現代と言う時代に要請されているのは、ルシファーとは違う存在、
アーリマンと言う悪の存在の救済だとされています。

アーリマンは、人間に霊的な世界などないと思いこませる誤謬を植え付ける存在ですが、
特にテクノロジーや科学などの領域と、地球の核の部分に影響を強く及ぼしており、
自然災害で言うと地震と深く関係していると言われています。

アーリマンと対峙するためには、ひとりではほぼ無理で、
集団で行わなければならないとシュタイナーは考えていたようです。
実際彼の後半生は、社会有機体三分節論など社会問題と対決する活動が主になっていました。

2011年という年、日本は地震・津波という自然災害と原発問題に向き合いました。
そしてこの問題は今後も長く続くでしょう。
それは、シュタイナー的に言えば、アーリマン問題と向き合う時が来たと言うことなのではないでしょうか。

アーリマンと向き合うためには、
赦しの作業によって、癒されたルシファーを光の担い手=聖霊として道しるべを示すでしょう。

ヒルデガルディアーナには、赦しの作業を通じて癒されたルシファー=聖霊の導きのもと、宇宙の創造的なエネルギーが降りてくる真に癒された子宮を地上に創り出すという役割があるようです。

それは、私たちが真に故郷だと感じられる庭であり、学び舎であり、修養の場所でもあるでしょう。
月の女神(=癒されたルシファーとしての聖霊)のもと、様々なものが豊かに生育する場所。

そのような場所として、多くの人が心地よく過ごしてもらい、
素のままの自分を思い出してもらえたらよいなと感じています。

「神秘的肉体」のヴィジョン 『スキヴィアス』第2部第5章)より
「神秘的肉体」のヴィジョン 『スキヴィアス』第2部第5章)より